企画を探す▷実行委員会の企画▷校友インタビュー

松重
まつしげ ゆたか

1986年明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。
1963年生まれ・福岡県出身。俳優。

テレビ東京『孤独のグルメ』シリーズ、FMヨコハマ『深夜の音楽食堂』など、映画やテレビ、ラジオでの活躍のみならず、2020年には初の著書となる『空洞のなかみ』を上梓するなど、俳優業をはじめ様々な分野で活躍中。

「疑いを持つ」
ことを積み重ねる俳優の歩み

-どのような大学生活を送っていましたか?
 演劇学科でも基本的に学校で教えてもらえることは理論なので、実際にお芝居をやりたければ、部活動か何かでやるしかないという形だったんです。でも既製のサークルに入ることは僕として面白く感じなかったので、1年のときに同じ専攻の仲間と劇団を作り、旗揚げしたんです。それと同時に映画を作ったりしました。そのとき、出演者に日藝(日本大学藝術学部)の役者さんを呼び、その中に三谷幸喜さんとかがいて、交流することができました。ほぼ大学の後半は、明治に行かずに江古田に通っていたんです(笑)一応卒業はできたんですよ。あの頃は大学の授業にしろ、ゼミ的なものにしろ、芝居のチラシを持って行って、『すみません。これやっているので、試験とかちょっと行けないです』と言ったら『あーわかったよ馬鹿野郎』と言って単位をくれたんです(笑)本当に今言ったら怒られるような・・・奇跡が起きていました。
 当時バブル前夜くらいの頃で景気がよかったので、就職先が引く手数多でした。3年の後半くらいのとき、気付いたら周りがお芝居辞めちゃったんですよね。卒業しても僕はお芝居やり続けるつもりがあったので、どうするかなと思ったときに、相談に乗ってくれる教授がいたんですよ。ゼミの教授で、佐藤正紀(さとうまさのり)さんという割と僕らと年代が近くて話しやすかった先生でした。卒論で何度か行くうちに『蜷川幸雄っていう世界的な演出家知っているだろ。蜷川幸雄が若い奴集めて劇団作っているから、お前そこどうだ?』って言うので調べて、受けたら通って、それで結局この世界に卒業後もどっぷり浸かるようになったんです。ざっくり話すとそういう4年間で、本当にお芝居漬けな日々でした。もうとにかく日藝と明治の劇団を行ったり来たりしていて、年間に4、5本はお芝居をやっていました。
-明治大学での印象的な思い出はありますか?
 学生課に行って、生活費困窮のためみたいに書いて1万円貸してもらったことはありますね。ギリギリの生活をしているからその1万円も月越して、前借りたやつをまた戻しに行くみたいに、もう常に1万円に追われていました。
 あと俺らの頃は、授業が長くて『すみません、ちょっとタバコ吸ってきていいですか?』と言う人がいて、教室の外に出て行って吸っているの。今考えるとありえないですよね(笑)明治って、なんかこう、緩いというか。だからこそ、何か一旗あげてやんないと面白くないぜというのが意外といたのかな。それも面白かったと思いますけどね。
-明治大学やその周辺地域で思い出の場所はありますか?
 駿河台の師弟食堂には有名なスコッチエッグというメンチカツの中に卵が入っているものが結構安くて腹持ちがよくて、非常に美味しかったです。和泉だと、鶏肉を味つけた照り焼きみたいなのがあったんだけど。その味が今も忘れられないので、家で時々工夫して作ったりしてみたりするんです。あの頃食べた学食が非常に思い出深い食べ物ですね。
 あと和泉の周りにも飲食店はいっぱいあったんですけれど、今でも残ってるのは沖縄料理の「宮古」くらいかな。2階で宴会させてもらったり、よく使わせてもらっていました。あの辺でお芝居をやって、みんなで騒いだりして謳歌していましたね。
-大学生活で取り組んでよかったことはありますか?
 お芝居に大学時代の4年間捧げて、プロ意識をその頃から積み上げていた気がします。でも4年生になったときに仲間がいなくなって、『ああそっか就職しちゃうんだ』という虚しさも味わいました。芝居を軸にして揺さぶりをかけながら、自分が本当に生涯かけて愛せるものって何かなと自問自答していたと思います。観客の批評も浴びながら、自分の好きなお芝居を突き詰めて行けたという時間。それは今考えると、かけがえのない4年間だったなと思いますね。
-第137回明大祭のテーマは「快哉を叫べ」になりました。「快哉を叫ぶ」には、心が晴れやかになって声が思わず出てしまうという意味があります。そのテーマにちなみ、お仕事をされている中で、思わず声が出てしまうほど晴れやかな気持ちになったことはありますか?
 今年のテーマを見て自分の中で色々探ってみたんだけど、快哉を叫ばないんですよ、僕は。達成感というものを自分の中でそんなに作れないんですよね。お芝居をするということは、監督のOKとか、演出家がこれで上演しますとか、お客さんの拍手が着地点だなと思いながらも、それが快哉を叫ぶというところまでは、これまでの人生では一度も行ったことがないんです。常に『これでいいのかなあ』とか、『いやこれじゃないんじゃないのかなあ』とか、そういう…、自分の中で疑念を常に持ち続けていることでしか、僕らの仕事は先に進めないんですよね。『やったー!』と思ったらそれで終わっちゃうし。『俺の芝居最高だったでしょ?』なんて口が裂けても言えないし。本当に人生の最後の最後でこれが最後の舞台ですっていったときに『やったー終わった!』という快哉は叫べるかもしれないですけれど。まだそこまでいっていないですし。そういう意味だと、快哉を叫ぶという言葉は、どこか遠い世界の話のような気がするんですね。
 自分の仕事に疑いを持っています。この仕事って正解も不正解もないんですよ。だから何が答えで何に向かっているのかというのがわからないので、どう向上したらいいのかということすらも、僕らの中には答えがない…、というか道筋がないんです。ただ、『これでいいのかな?』と思うことを積み重ねることじゃないかなと思うんですよ。『これでいいんだ』じゃなくて、『これでいいのかな?』。同じことは絶対なぞってはいけないよというのが蜷川幸雄の教えなので。昨日やったことをそのまま提示して、『これでいいのかな?』って言っているのはただの怠惰ですから。そうではなくて、1日考えて、それでやって、『いやこれでいいのかなあ』という日々の連続を作り上げていくということだと思うんです。自分の中に常に俯瞰で見ているもう1人の誰かがいて、『それでOKなの?』と言っているような感覚を持ち続けることだと思うんですよね。
-最後に、明大生にメッセージをお願いいたします。
 僕がいた頃の明治とは、もう今の若い子たちが大学の中で何を感じて、どのような人生にしたいかというのは、同じ尺度で考えることは絶対にできないと思うんですけれど。大事な4年間を何にするか、どう使うか、どの目標に向かっていくか、ということを見極めていく大切な時間だと思うんですよ。僕らの頃よりも困難なことが確実に多いと思うんですよ。これから先、コロナという世界中の災難の出口がまだ見えない状態の中で、世界が、日本が、これからどこに向かっていくかというのは、『申し訳ない、もう君たちにかかっているんだよ』と言うしかないので。頑張っていただきたいという気持ち。明治は、何者にも染まる、何者にも変えられる、いい立場にいる人たちだと僕は思います。ぜひ、世の中を塗り替える存在になる人たちがどんどん巣立っていって欲しいです。
 そういう人たちが『なんか俺が出た頃よりも大学難易度上がってて大変なんだよ』というようになっていただきたいね。『昔はよかったんだけどさ』と言われないようにしないと。だから今僕としては本当に誇らしい。若い子たちが頑張ってくれているので。『明治大学卒業です』と言うと、こうやって誇らしい気持ちになれるのは、君たちのおかげですし、そういう風な伝統をぜひ守っていただきたいなと思います。

松重 豊
まつしげ ゆたか

1986年明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。
1963年生まれ・福岡県出身。俳優。

テレビ東京『孤独のグルメ』シリーズ、FMヨコハマ『深夜の音楽食堂』など、映画やテレビ、ラジオでの活躍のみならず、2020年には初の著書となる『空洞のなかみ』を上梓するなど、俳優業をはじめ様々な分野で活躍中。

「疑いを持つ」
ことを積み重ねる俳優の歩み
どのような大学生活を送っていましたか?
 演劇学科でも基本的に学校で教えてもらえることは理論なので、実際にお芝居をやりたければ、部活動か何かでやるしかないという形だったんです。でも既製のサークルに入ることは僕として面白く感じなかったので、1年のときに同じ専攻の仲間と劇団を作り、旗揚げしたんです。それと同時に映画を作ったりしました。そのとき、出演者に日藝(日本大学藝術学部)の役者さんを呼び、その中に三谷幸喜さんとかがいて、交流することができました。ほぼ大学の後半は、明治に行かずに江古田に通っていたんです(笑)一応卒業はできたんですよ。あの頃は大学の授業にしろ、ゼミ的なものにしろ、芝居のチラシを持って行って、『すみません。これやっているので、試験とかちょっと行けないです』と言ったら『あーわかったよ馬鹿野郎』と言って単位をくれたんです(笑)本当に今言ったら怒られるような・・・奇跡が起きていました。
 当時バブル前夜くらいの頃で景気がよかったので、就職先が引く手数多でした。3年の後半くらいのとき、気付いたら周りがお芝居辞めちゃったんですよね。卒業しても僕はお芝居やり続けるつもりがあったので、どうするかなと思ったときに、相談に乗ってくれる教授がいたんですよ。ゼミの教授で、佐藤正紀(さとうまさのり)さんという割と僕らと年代が近くて話しやすかった先生でした。卒論で何度か行くうちに『蜷川幸雄っていう世界的な演出家知っているだろ。蜷川幸雄が若い奴集めて劇団作っているから、お前そこどうだ?』って言うので調べて、受けたら通って、それで結局この世界に卒業後もどっぷり浸かるようになったんです。ざっくり話すとそういう4年間で、本当にお芝居漬けな日々でした。もうとにかく日藝と明治の劇団を行ったり来たりしていて、年間に4、5本はお芝居をやっていました。
明治大学での印象的な思い出はありますか?
 学生課に行って、生活費困窮のためみたいに書いて1万円貸してもらったことはありますね。ギリギリの生活をしているからその1万円も月越して、前借りたやつをまた戻しに行くみたいに、もう常に1万円に追われていました。
 あと俺らの頃は、授業が長くて『すみません、ちょっとタバコ吸ってきていいですか?』と言う人がいて、教室の外に出て行って吸っているの。今考えるとありえないですよね(笑)明治って、なんかこう、緩いというか。だからこそ、何か一旗あげてやんないと面白くないぜというのが意外といたのかな。それも面白かったと思いますけどね。
明治大学やその周辺地域で思い出の場所はありますか?
 駿河台の師弟食堂には有名なスコッチエッグというメンチカツの中に卵が入っているものが結構安くて腹持ちがよくて、非常に美味しかったです。和泉だと、鶏肉を味つけた照り焼きみたいなのがあったんだけど。その味が今も忘れられないので、家で時々工夫して作ったりしてみたりするんです。あの頃食べた学食が非常に思い出深い食べ物ですね。
 あと和泉の周りにも飲食店はいっぱいあったんですけれど、今でも残ってるのは沖縄料理の「宮古」くらいかな。2階で宴会させてもらったり、よく使わせてもらっていました。あの辺でお芝居をやって、みんなで騒いだりして謳歌していましたね。
大学生活で取り組んでよかったことはありますか?
 お芝居に大学時代の4年間捧げて、プロ意識をその頃から積み上げていた気がします。でも4年生になったときに仲間がいなくなって、『ああそっか就職しちゃうんだ』という虚しさも味わいました。芝居を軸にして揺さぶりをかけながら、自分が本当に生涯かけて愛せるものって何かなと自問自答していたと思います。観客の批評も浴びながら、自分の好きなお芝居を突き詰めて行けたという時間。それは今考えると、かけがえのない4年間だったなと思いますね。
第137回明大祭のテーマは「快哉を叫べ」になりました。「快哉を叫ぶ」には、心が晴れやかになって声が思わず出てしまうという意味があります。そのテーマにちなみ、お仕事をされている中で、思わず声が出てしまうほど晴れやかな気持ちになったことはありますか?
 今年のテーマを見て自分の中で色々探ってみたんだけど、快哉を叫ばないんですよ、僕は。達成感というものを自分の中でそんなに作れないんですよね。お芝居をするということは、監督のOKとか、演出家がこれで上演しますとか、お客さんの拍手が着地点だなと思いながらも、それが快哉を叫ぶというところまでは、これまでの人生では一度も行ったことがないんです。常に『これでいいのかなあ』とか、『いやこれじゃないんじゃないのかなあ』とか、そういう…、自分の中で疑念を常に持ち続けていることでしか、僕らの仕事は先に進めないんですよね。『やったー!』と思ったらそれで終わっちゃうし。『俺の芝居最高だったでしょ?』なんて口が裂けても言えないし。本当に人生の最後の最後でこれが最後の舞台ですっていったときに『やったー終わった!』という快哉は叫べるかもしれないですけれど。まだそこまでいっていないですし。そういう意味だと、快哉を叫ぶという言葉は、どこか遠い世界の話のような気がするんですね。
 自分の仕事に疑いを持っています。この仕事って正解も不正解もないんですよ。だから何が答えで何に向かっているのかというのがわからないので、どう向上したらいいのかということすらも、僕らの中には答えがない…、というか道筋がないんです。ただ、『これでいいのかな?』と思うことを積み重ねることじゃないかなと思うんですよ。『これでいいんだ』じゃなくて、『これでいいのかな』。?同じことは絶対なぞってはいけないよというのが蜷川幸雄の教えなので。昨日やったことをそのまま提示して、『これでいいのかな?』って言っているのはただの怠惰ですから。そうではなくて、1日考えて、それでやって、『いやこれでいいのかなあ』という日々の連続を作り上げていくということだと思うんです。自分の中に常に俯瞰で見ているもう1人の誰かがいて、『それでOKなの?』と言っているような感覚を持ち続けることだと思うんですよね。
最後に、明大生にメッセージをお願いいたします。
 僕がいた頃の明治とは、もう今の若い子たちが大学の中で何を感じて、どのような人生にしたいかというのは、同じ尺度で考えることは絶対にできないと思うんですけれど。大事な4年間を何にするか、どう使うか、どの目標に向かっていくか、ということを見極めていく大切な時間だと思うんですよ。僕らの頃よりも困難なことが確実に多いと思うんですよ。これから先、コロナという世界中の災難の出口がまだ見えない状態の中で、世界が、日本が、これからどこに向かっていくかというのは、『申し訳ない、もう君たちにかかっているんだよ』と言うしかないので。頑張っていただきたいという気持ち。明治は、何者にも染まる、何者にも変えられる、いい立場にいる人たちだと僕は思います。ぜひ、世の中を塗り替える存在になる人たちがどんどん巣立っていって欲しいです。
 そういう人たちが『なんか俺が出た頃よりも大学難易度上がってて大変なんだよ』というようになっていただきたいね。『昔はよかったんだけどさ』と言われないようにしないと。だから今僕としては本当に誇らしい。若い子たちが頑張ってくれているので。『明治大学卒業です』と言うと、こうやって誇らしい気持ちになれるのは、君たちのおかげですし、そういう風な伝統をぜひ守っていただきたいなと思います。